高校生時代の話(バリケード封鎖編)

始まり

 私が高校1年生の頃は、ちょうど学生運動がたけなわの頃でした。今となっては40年も前の話なので、前後の出来事もかなり曖昧です。

 しかし記憶に残っている印象は鮮烈です。9月のある朝、普段通り学校に登校してみると、門の前が黒山の人だかりです。

 私の出身は都立ですが、受験校というほどでもなく、結構のどかな雰囲気でした。あちこちの高校でバリケード紛争が行われていましたが、まさかこののどかな学校にそれが起こるとは思っても見ませんでした。

 近づくと黒山の人だかりの大部分は生徒であり、一部に教員が集まっていました。冗談半分に「うちの学校でも紛争が起きればやすみになるのになあ」、と無責任な話をしていました。

 しかし、現実に目の前の門の後ろに机や椅子が山のように積み上げられているのを見るのは強烈な印象です。校舎の窓からは垂れ幕が下がり、落書きも随所に見られました。

 中にいるのはほんの10数人のようです。すぐにでも機動隊を要請して、封鎖解除になるのかと思っていましたが、教員の中に立てこもった生徒ときちんと話をするべきだ、という主張があったようです。

 しばらくして、今日の所は下校しなさい、という指示が出されました。確かにじっと見ていても何の進展もないようだったので、生徒は三々五々下校となりました。

 私も友人と一緒に、「これは今日の夕刊に載るかも」、なんて他愛ない話をしながら帰りました。ちなみに夕刊にはほんの少し記事が出ました。


数週間後

 数週間後だったでしょうか。この辺の記憶は曖昧ですが、機動隊は入れない、授業は行わない、という約束で封鎖が解かれました。

 生徒には登校するよう指示が出されました。教室に入るとあちこちに、なにやら主張めいた言葉が落書きされていました。

 職員室の荒れようはもっとひどかったようです。そんな中で、ともかく学校は開始されましたが、授業はないので、当初集まっても何をするのかまったく決まっていません。

 封鎖を実行した生徒の言い分は、受験戦争からの解放、教育課程の見直し、校則の自由化、学校行事の見直し等だったと記憶しています。やがて午前中はクラス討論、午後は生徒総会、というパターンが出来始めました。

 内容は上記の主張をクラス単位で討論し、代議委員会を通して、生徒総会で要求としてまとめ上げること、でした。教員無しの討論会が連日行われました。

 生まれて初めて、先生のいない討論会を経験しました。指導するのは2年や3年の上級生。たいした意見は出ませんでしたが、ともかく話し合うという事が大事なんだ、関心を持つことが大事なんだ、ということが徐々にわかってきました。


生徒の反応

 生徒の反応は、大きく3つに分かれました。

 第一はもとからこれらの問題に興味を持ち、積極的にのめり込んでいった層。クラスや総会でもこれらの生徒の発言力は大きいように感じました。

 反対にこれらの討論にはまったく興味を示さず、これ幸いにと遊び出す者もいました。これが二番目の層。

 そして三番目は、これまで特にこれらに興味は感じていなかったものの、生来の生真面目さから、これらの問題に関心を持ち始めた者。私は三番目の層でした。

)


生徒総会での発言


小話のページ戻る


表紙に戻る