ボランテイア活動(1)

はじめに

 最近ボランテイア活動なるものが新聞によく掲載されるようになりました。学校教育の中でボランテイア活動が評価されるようになって、さらにその傾向は高まっています。

 基本的には良いことだと思っています。何らかの形で無償で社会に奉仕する、という活動は素晴らしいものです。しかし、その実績が入試で評価されたり、新聞に掲載され讃えられたりすると、途端に胡散臭くなります。

 と言うのも、もしかするとやっかみ半分かもしれませんが、私自身が今から30数年前にボランテイア活動を体験しているからです。


進路

 高校時代に進路を決めようと思ったとき、最初に意識したのは自分の健康状態でした。

 私は生まれてまもなく湿疹がひどくなりました。3歳頃にはそれが全身に拡がり、悲惨な姿で写されている写真が、今もアルバムの中にあります。

 その後湿疹は徐々に納まりましたが、それ以後今度は小児喘息に悩まされることになります。原因は今持って不明です。

 普通なら、この喘息は小学校から中学校に入学する頃自然治癒するようです。しかし私の喘息はしつこく、中学に入学しても軽快しませんでした。

 高校に入学する頃、ようやく喘息は納まってきましたが、代わりに今度はアトピー性皮膚炎です。間接の内側がやたらかゆくなります。

 それやこれやで私は自分が他人より極端に健康的に劣っていることを認識するようになりました。両親や親戚も常に「おまえは体が弱いから云々」という言い方をしていました。

 その意味もあって、進路は自宅から通えるような職業で、かつ激務にはなりにくいもの、ということで教員を薦められました。

 私も教えることは面白そうだと感じていましたし、教育の重要性や、自分の好きな理科の知識を生かす道は教員である、というようにいつしか思うようになっていきました。


動機

 一方、私のような体力が劣る者であっても、なんらかの形で社会にすぐに貢献出来ないものかと考えるようになりました。

 自分が病気がちの人生を送ってきただけに、逆にそのような人たちの助けになれればなあ、という率直な願望でした。


きっかけ

 そんなようなことを考えていたある日、都内に住んでいた私は友人と誘い合わせて鎌倉へ出かけました。自宅から鎌倉まで2時間強、ちょっとした日帰り旅行です。

 北鎌倉駅で降りて、アジサイで有名な浄智寺の境内へ向かって歩いていくと、車椅子の人がいました。その両脇には介助者が2人いて、でこぼこの境内をなんとか移動しようと四苦八苦している様子が見て取れました。

 普段なら大変だけど頑張って下さい、ぐらいの気持ちで通り過ぎるのですが、その時は魔が差したというか、それまでの考えが素直に作用したというか、すぐに手伝う気になりました。

 近づいて、「手伝いましょう」、と手を伸ばすと、2人の介助者は大変喜んでくれた上に、さらに車椅子の人も感激してくれました。

 その程度のことでこれほど喜んでくれるとは予想もしていなかった私は、かえって照れくさくなってしまいましたが、もしかすると今後も会えるかな、というほのかな期待で連絡先を教えました。

)


車椅子介助


小話のページ戻る


表紙に戻る