ボランテイア活動(2)

数々の体験

 その後先方から連絡があり、もし時間があったらボランテイアを頼めないか、ということが数回ありました。

 大抵は、件の車椅子の人が出かけるとき、駅の階段等の介助をお願いできないものか、という依頼でした。

 初めの内は依頼されたときに出向く程度でしたが、やがてわずかばかりの自分の力が必要とされていることを強く感じ、依頼される前に、次はどこへ行きましょうか、と相談する関係になっていきました。

 出かけた場所はたくさんありますが、当時は車椅子で介助者と共に出歩く、という人はほとんどいませんでした。まだ歩道にスロープがなく、駅の階段にはエスカレーターなぞ皆無の時代です。


車椅子の人

 名前をMさんといいます。病名は成人性の進行性筋ジストロフィー。私が彼と会ったのは、彼がまだ20代のときです。幼い頃突如この病気になった、ということです。

 子供の筋ジスの場合は、ほとんど高校までにその命が尽きてしまう病気です。成人性の場合は、進行するものの、その度合いは子供よりはるかに遅く、また年を経るごとに進行が鈍るようです。

 つまり言い方は悪いが、自分の体の筋肉の力が、ひたすら弱くなり続け、生殺しのようになっていく病気だということです。

 しかし彼はまだ存命です。ただ私が埼玉にいて、彼は千葉の病院にいるので、最近は年賀状を交わすだけの間柄になっています。しかし彼に会って、私の人生観はずいぶん修正されました。


彼のポリシー

 彼はもちろん自分が外出したい、という願望が強くあったのだと思いますが、それとともに車椅子患者の生活圏を拡げたい、という強い意志があったように思います。当時ともすれば好奇の視線のみを浴びせられるような場所にも、果敢に出かけました。


電車

 当時の彼の住所は墨田区、私は世田谷区。彼の自宅で待ち合わせて、車椅子をごろごろ押しながら進みます。歩道もろくにないような路地を駅に向かって車椅子を押していきます。高々数100mの道にたえまなく段差があります。そのたびに数人で介助。

 よく行ったのは近くの喫茶店。常連でした。店の人もわかってくれて、入り口に一番近い座席を用意してくれます。

 それから出発点となる両国駅。ここには成人男子でも息を切らすような長い階段があります。彼の姿を駅員さんが知っているらしく、見かけるとすぐに事務室から出てきてさりげなく手伝ってくれます。

 場合によっては、階段を上ろうとする人たちが自主的に手伝ってくれました。ごく普通の人たちの優しさを味わう瞬間でした。

 電車に乗って新宿に行きます。ホームから電車に車椅子で乗り移るのがまた大変です。たかだか5(cm)程度の隙間を乗り越えるのに大変な力を必要とします。人目も気になります。

 こんな混んでいる電車に、なんで車椅子なんかで乗り込んで来るんだ、という怒りの目を向ける人もいたように思います。

 しかし我々は、車椅子の人が健常者と共存できる社会が来ればいいなあ、という意志のもとに行動していたので、申し訳ないという気持ちはあったものの、謝る気持ちはありませんでした。むしろ誇らしい気持ちだったかもしれません。

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介助あれこれ


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