通勤途中に考えていること


 まあどんな職業でも同じだと思いますが、出勤途中はだいたいその日の予定を考えています。私の場合、幸いなことに自宅から職場まで車で約30分。都心まで1時間以上書けて通うサラリーマンに較べると恵まれています。子供の頃から体が弱かったので、通勤時間は短い事に感謝しています。

 さて車の中で最初に考えるのは、その日の仕事の段取り。その日に行われる会議や数日中に行われる会議の内容を考えます。その次が授業。今日の授業の時間割を思い浮かべ、続いてどのクラスがどこから始まるか授業の概略を思い出し、実験を行う場合は準備の段取りや時間について予想して起きます。

 時には授業がどこまで進んだか思い出せない場合があります。同じ内容で多数のクラスを持っているときは混乱の度合いも激しく、車の中ではどうにもならないこともあります。

 授業内容を思い出したら、次は今日の授業内容の要点と教え方の反芻。ここではこんな練習問題、ここではこんな話題、なんてことを考えられる日は調子の良い日。気力が充実しています。そんなときは教え子の反応まで想像できます。

 教師になりたての頃は、授業への斬新なアイデアがちょくちょく浮かび、これを試したらきっとこんな反応が返ってくるに違いない、と期待をしたりしました。しかし最近は従来の授業の修正程度しかアイデアが出てきません。結局たいていは授業の進み具合を確認するぐらいで車内での授業への準備は終了。

 次に考えるのが当日の行事関係。1学期は授業中に各種の健康診断が行われます。疲れているときにこのようなめぐり合わせに遭遇すると、学生時代の休講に遭遇したかのような感動を覚えます。しかし健康診断には保健室への引率があり、なおかつ診断がスムースに進むように気を配らなくてはいけない。

 保健室担当の先生もいますが、学校医への対応に忙しく、生徒の様子まで構っていられないというのが現状です。

 一方、実験を予定していた時間に検診が入ると面倒なことになります。実験室を使う予定の調整を再度やり直さなければなりません。検診の予定は年度当初に発表され、だいたいの見当はついていますが、やはり校医も生徒も教員も人間なので、常に不測の事態が起きます。それを臨機応変に乗り切れるまでには結構経験年数を要します。

 その他ここでは詳述しませんが、学校には授業以外に本当にいろいろな行事?がある。とりあえず授業以外の様々な要素を勘案し、授業への影響を考えつつ学校に向かいます。クラス内に手のかかる生徒が存在する場合はさらに面倒です。今日はどのような対応をするか、相手はどう出てくるか、そのときの対応は、なんてことを考えると、実際には前日の夜の睡眠時間まで奪われます。こちらの価値観がほとんど通用しない生徒が出てくると、困惑は極限に達します

 最も出勤途上、ずーっとこんなことばかり考えていたら登校拒否に陥ります。適度に切り上げるべきで、切り上げられないほど悩みが深くなると重症です。そんなとき真面目に勤務を続けるといずれ精神が破綻します。良い意味でも悪い意味でも多少なりともずるがしこくないと(ある程度いい加減でないと)勤まらない部分があります。

 やがて学校の正門が見えてきます。今日もがんばるか、と自分に言い聞かせます。

 教員は教室に入れば1人対40数人の孤独な戦いを強いられます。常勝の必要はありませんが、常に負けていては精神的にまいってしまいます。もっとも何を持って勝ちと定義するのかは難しいですね。基本的には授業がうまくいく、特定の生徒をうまくあしらえる、生徒の信頼を勝ち得た、一方的に授業で押しまくった等が該当します。

 戦いの援軍は、これまで勉強してきた知識と経験。それだけではどうしても駄目なときは、校長や各種主任の権力、場合によっては国の定める法律を駆使します。しかしいずれも相手との信頼関係が必要です。それなしに権力を誇示しても馬鹿にされるか反発されるだけ。さじ加減が本当に難しい。

 教師に成り立ての頃はこれらの後ろ盾を感じることもないし、利用することも思いつかないので生徒との戦いは苦戦します。しかし若さには、それ特有の武器があります。年代の近さ、教育への情熱、新鮮な驚きと豊かな感性ですね。教育実習生にはそのような実習をしてもらいたいと思っていますが、現実はなかなか厳しいようです。


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