家族の役割

しかしながら子供の数が徐々に減っていき、さらにそれとほぼ同時進行で家庭の核家族化が進みました。その結果、1家族が2〜5人で暮らすという所帯が激増。

 町の中から少しずつ子供達が集団で遊ぶ姿が消え、家の中でもコミュニケーションは家族や兄弟だけという状態が生まれていきます。

 そうなると、子供グループの中で育つはずの同年代や近い年代のコミュニケーション能力や互いの利害の調整、リーダーの育成という能力は徐々に失われていきます。

 それでも家庭の中で、父親が働き、母親が台所を守り家計を支えるという構造が出来ていたときは、まだしも家族の団欒という場があり、その中で親から社会の中での最低限の規範意識は伝えられていったと思います。

 たとえて言えば、「ウソはつくな」「人のものを勝手に使うな」「自分のものは自分で管理しろ」「人の話は聞け」、そして家の外では、「歩くときは右側」「自転車は左側通行」「横断するときは信号を守る、または横断歩道を使う」といった日常的な細々としたことが教えられていくわけです。

 家族の人数が減り、子供が外で集団で遊ぶことが少なくなり、徐々に集団生活の中の規範意識を育てる環境が減っていきました。

 そんな環境の変化の中で、規範意識を育てる役割を担ったのが、地域の子供会、今でもあちこちで頑張っている地域のスポーツ組織、そして学校です。

 当然家庭でもこれらの役割を担う必要があったわけですが、折しも日本は高度成長期を終えると共にバブルが崩壊し、以後政府は再び景気が良くなったと時折コメントしますが、庶民の生活観ではそれほどの改善は感じられず、さらに家計の苦しさ女性も社会に進出していこうという気運が高まり、ますます家庭の中での子供に対する規範意識の醸成が難しくなっていきました。

 私が今の家に転居してきた20年ぐらい前は、夏休みになると朝6時か6時半にラジオ体操があって、地域の人たちは子連れで参加していましたが、今はもうありません。

 子供会も一時期活発に活動していましたが、それは活動を負担してくれる保護者がいたからで、その保護者がいなくなってしまった現在は、ほとんど活動がないように思えます。サッカーや野球といった、子供達の集まりも昔は活発に行われていましたが、最近はあまり見かけなくなりました。

 規範意識を育てる環境が家庭や地域から失われていくと、その役割の大半は結局学校に行き着くことになります。もちろん地域のスポーツや子供会の交流もあるでしょうが、なんといっても子供達は1日の大半を学校で過ごしているからです。

 しかし保育園や幼稚園を除いて、本来の学校は教育機関であり、規範意識の醸成やしつけとは切り離して考えるべき組織だったと思います。

 しかし共働きの両親が増えてくると、親は子供を学校に預けることにより、子育てから解放され、学校に躾を任せておける、と考えるようになっていきます。(最近は給食費も払わず、食事代まで学校に押しつけるという信じられない親も増えているようですね)

 学校の方は、目前の生徒に規範意識があろうと無かろうと義務教育では受け入れざるを得ませんので、他の生徒とトラブルが起きないように、様々な規則を作り、なんとか通常の授業が実施できるように努力します。

 結果的に一部の保護者の中に、小学校や中学校は教育機関ではなく、子供を預ける託児所のようなものだという感覚が潜在的に芽生えてきます。そして、家の中では「そんなことをしたら、学校の先生に怒られるよ」という他力本願的な言い方で躾をおこなおうとする親がでてきました。
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