自ら疑問を持つ生徒の育て方?

 では子供達が自ら考え疑問を持つような生活環境を整えるにはどうしたらよいか。お受験雑誌や自分の子供を頭のよい子にする、みたいな特集を組んでいる本の表題によく見かけるテーマです。

 そういった書籍の内容の共通項として書かれているのは、幼児期の生活習慣です。すなわち言葉を覚えて物心が付いてから小学校に入学するぐらいまでの話しですね。

 この時期に、どのくらい落ち着いて、なおかつ集中して遊べるか、というのが大きなポイントではないかと思っています。遊べるかと書くと、なんだか遊んでいればいいというニュアンスになってしまいますが、もともとこの時期の子供にとって、世の中の現象のほとんどは遊びです。

 つまりあれもやりたい、これもやりたい、とわがままを言いつつ、やりすぎると自分が痛い目にあったり、親から怒られたりして、社会の法則や動き、規則というものを自然に学んでいくわけです。

 この時期に、親が「あれは危ないからやるな」「そんなことをやるもんじゃない」「子供はおとなしくしてろ」と規制をかけると、子供は自発的な発想が出来なくなり、受け身になっていくのではないでしょうか。言葉としてはきついですが、「過干渉」という語句が該当すると思います。

 過干渉にならずに子供をうまく育てるにはどうするか?難しいです。だいたい幼児がやることは、どれもこれも親から見たら危なっかしいです。

 ころびそう、落っこちそう、ぶつかりそう、手をけがしそう、飲み込んじゃいそう、喉にひっかかりそう、首が引っ掛かりそう、足を折りそう、溺れそう、腹をこわしそう、まあともかくあらゆることが心配です。

 これらをすべて逐一監視し、躾だと言って規制していたら、とても体がもちません。絶対に制止しなければいけないこと、見守る程度でよいこと、さらにまあここは思い切って遊ばせてみよう、と思う基準をどこに置くか。

 人それぞれで、親自体の生育環境で指導方針も異なると思いますが、絶対に制止しなければならないことは、本人の生死に関わることで、これは子供がどれほど泣きわめこうと親が教え込まなくてはなりません。それ以外は見守る程度が一番良いのではと思っています。

 思いっきり遊ばせるというのもいいのですが、やはり少しは見守らないと、親も不安ですし、子供も行動の判断基準が育成されません。

 子供が自発的な遊びを覚えると、興味関心は自然に次々と広がっていきます。家の中で、いろいろな物にさわり、手触りや熱さ、固さといったものを少しずつ理解し、やがて外に出て、砂場の砂で遊び、泥をこねくり回し、滑り台を滑り降り、ブランコに乗り、といったように行動範囲も徐々に広がっていきます。

 このとき親が、何かを触っているとき、頭ごなしに「そんな汚い物さわるんじゃない」とヒステリックに叫んだり、「危ないからそんなことするんじゃない」と言い続ければ、子供の自発性は徐々に失われていきます。

 そうなると子供は常に受け身の状態になり、おとなしい子なら、教えられたことはできるけど、それ以外は自発的に動こうとしなくなるでしょうし、逆に性格的に活発で体力のある子なら、ストレスを抱え、周りの子供達と旨く付き合うことが出来なくなります。

 幼児期の親の役目は、毅然とした態度をとりつつ、なるべく子供がやりたいことをやらせるのが良いのではと思っています。

 さらに出来れば、子供が関心を持っていることを察知して、それをアシストするのが親の役目だと考えています。つまり子供があれを知りたい、これをやってみたいと思ったとき、それを実現できる環境を整える、というのが親の役目かなと思っています。

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