目標設定とまとめ


目標設定の利点


 個々の教員の目標設定、各係の目標設定、各教科、各委員会の目標設定と膨大な事務手続が続き、現場の負担は大きなものになっていますが、そんなことは民間では当たり前だ、と怒られそうです。

 ただ私がここで言いたいのは、@教育現場に数字の目標を持ち込むことには無理があるのではないか。ということとAその数値の変化で実績を評価するのは難しいのではないか。さらにBその数値で評価されるならば、教員も意図的に当初の目標数値を設定するのではないか。Cそして目標達成が難しくなったとき、意図的に数値を隠したり、誤魔化したりする可能性はないのか。またD目標設定が明文化されているため、不祥事が起きたとき、それを隠そうとするのではないか。等々を心配していました。

 今はまだ、管理職による評価が教員の人事異動や給料を左右しているとは言い難い部分もありますが、評価という基準があれば、それを生かそうという動きが出てくるのは当たり前で、いずれは人事や給料に影響が出るのではという不安もあります。

 一方そのような制度を行うことにより、資質や志の低い教員の割合が減り、全体として教育のレベルが上がるとも考えられます。実際、私のこれまでの教員生活の中で、そこまでやっていいの?と疑問に思えるようなことを行う教員がいたことも事実です。


ここまでのまとめ

 ここまでの話しの大筋の流れは、@教員の事務的な仕事量が増えている。Aその事務的仕事量の大半はパソコンを使って行われる。Bその結果職員室内での対話や情報交換が消えつつある。C生徒との会話の時間も減っている。

 D教育レベルを引き上げるために年度ごとの目標設定が行われるようになった。E目標設定に数字を導入する事例が増えた。F数字により教員の業績が評価されるようになった。Gやがてはその成績で人事等が行われるかもしれない。

 当然ながら目標設定は管理職も同じように行われ、その文章は県に提出され、管理職は県から指導を受けています。つまり管理職も学校運営において、なんらかの数字的な実績を挙げることを要求され、普通の教員以上にその成績結果が人事に繁栄されていくのではないかと推定できます。

 結局上から下まで常に成績や実績が評価される体制が出来上がったため、誰もが不祥事を極端に恐れるようになりました。それはそれで良い部分もあるのかもしれませんが(不祥事が減るかも、という点で)、学校や教育全体の溌剌とした活力が失われつつあるような気もしています。

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