教員の仕事(1)

 
一人の教員が所属する係

 教員が学校の中で仕事分担を請け負うとき、教科指導以外に、教務部や生徒指導部、進路指導という部に所属し、さらに学年に所属し、さらにさらに何らかの委員会に所属することになります。

 ただし委員会については、委員にならない先生もいる反面、年齢や経験年数、様々な仕事の絡みで3つも4つも兼任する先生がいます。

 そして忘れてならないのは、これらの仕事以外に、部活動の指導(顧問)という仕事があります。これはほとんどの教員が何らかの部活動の顧問になっています。

 これも一つだけの部活顧問になる場合もありますし、二つぐらいを兼任する場合もあります。一例を挙げると、私がこれ以上仕事を続けるのは難しいなと感じたとき所属してた係分担は、教務部の教務主任、学年には所属せず、部活動は卓球部顧問、そして委員会は企画委員会他3つぐらいの委員会に所属していました。

 やっていた仕事内容は、基本的に学校運営に関わる原案作りです。従っていつもパソコンの前に座り、原案の書類を作っていました。本来なら授業のための教材研究が主になるはずですが、明らかに他の仕事に割かれる時間の方が多かったと思います。


OA機器の普及

 私が教員になった頃、印刷機は謄写ファックスと輪転機を使っていました。さすがにガリガリ鉄筆で削って原稿を作るというようなことはありませんでしたが、自分で書いた文章を印刷用の紙に複写し、それを輪転機にかけてプリントを作る、という手順です。

 それ以前は鉄筆で原稿を書き、輪転機で印刷という手順だと思います。さらにその前は輪転機すらなかったと思います。輪転機の出現により大量の印刷物を作ることが可能になりました。

 一方、同時にコピーの普及が始まり、最初は青っぽい、いわゆる青写真といわれるような不鮮明なコピーだったものが、徐々に白い紙に鮮明にコピーが出来るようになりました。これは私がまだ学生時代のことでした。

 さらに教職についてしばらくすると「ワードプロセッサー」すなわち「ワープロ」と呼ばれるものが普及を始めました。この辺りから、教育界へのOA機器の浸透が始まっていると思いますが、時を同じくして仕事量が増えていったように思います。

 初期のワープロは、大きな機械の真ん中あたりに小さな横長のディスプレイがあって、そこに入力された文字が並ぶというもので、全体の文章構成は機械任せ。要するに入力した文字が活字になると言うだけの機能でした。

 数年後、ブラウン管ディスプレイのものが発売され、これを私も購入しました。NECの文豪シリーズです。しかしこうゆう経費は、教員の場合すべて自分持ちなんですね。民間の企業なら、経費で落とせるように思えますが不思議です。

 ともあれ、同時期に「フロッピーディスク」なるものも発売されるようになり、ノート一冊分の文字が小さなプラスチックの板にすべて記憶されてしまう、という驚天動地の技術革命が起きました。(それまではカセットテープにデータを記憶したりしていました)

 そして、そのとき何を勘違いしたのか、「これでオフイスからノートや資料等の紙の書類が消え、すべてが電子データに変換される。教員の机上からも教科書以外の書類が消えて無くなる。これぞまさしくオフイス革命だ」みたいな言葉があちこちで聞こえるようになりました。

 私も「なるほど、たしかにそうかもしれないな」と大きな勘違いをしていました。そしてその勘違いのまま、自分の授業ノートの内容をせっせとフロッピーディスクに保存してました。

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