プロフィール

(詳細版の3)

 プロフィールですから、あまり長々と書いてもしょうがないのですが、定時制には、昼間の高校入試に失敗してしょうがなく入学した生徒や、就職してから高卒の資格の必要性を認識して入学した人、子育てが終わり、少し落ち着いたので入学した人、中学や他の高校で問題行動を起こして入学してきた生徒など、様々な経歴の持ち主がいました。

 そんな中に、理系の大学を卒業して、ろくな社会経験もないままに入り込んだわけで、最初の数年間は彼らから教えると言うより、教えられることの方が多かった気がします。

 しかし、この数年間で私は授業の難しさと共に、どの子もそれなりに授業内容を分かりたいんだ、と思っていることを通説に感じました。

 勉強が苦手な子は苦手な子なりに、得意な子はもっと知りたい、という欲求を強く持っていることを感じました。今から30年も前のことです。

 暴走族あがりのお兄ちゃんににらみつけられながら、「ここがわかんねえ!」とか言われると、びびって腰が引けてしまうこともありましたが、実は本人なりに知りたいという欲求があることが段々分かってきました。

 定時制には様々な境遇の生徒がいましたが、そのことについては、また別の機会に書こうと思います。ともあれ定時制での経験が今の私の教育に関する根本理念を作る基本になっていることを実感しています。

 定時制の次は普通科の中堅校でした。転勤当初は、朝早くからの勤務が辛かったこともありますが、もともと早寝早起き型でしたので、数ヶ月で順応。

 当初は、いわゆる普通の高校生とはこんな感じなのか、という驚きがありました。一方その頃から生徒数急増期を迎え、最初は45人前後のクラス編成だったものが、学年により1クラス増になったり、特定の学年だけ1クラスの人数が増えたりしました。

 私は48人編成のクラスでも教えましたが、教室は机と椅子で満杯。動くのもままならない状態でした。それでも間に合わないくらい生徒数が増加したため、県は新しく高校を作ることを余儀なくされ、高校数が数年間でどんどん増えていきました

 その結果、既存の学校の優秀な生徒が新設校に流れるという現象が起こり、特に交通が不便だったな学校は、応募人数が激減し、それとともに学校全体の雰囲気が少しずつ変化していきました。

 私が勤務していた中堅校も、周囲に新設校が5校ぐらい出来た関係で、もろに影響を受け、地盤沈下が始まりました。

 いったん地盤沈下が始まると、噂が噂を呼んでよほどの荒療治をしない限りその沈下をくい止めることは出来ません。教職員一丸となって、という語句がよく使われますが、まさにその通りの状態で頑張りましたが、物理的な要因が余りにも大きく、その勢いを止めることが出来ませんでした。

 しかしこの頃、私は教育というのは数名の人間のパフォーマンスでやるものではなく、様々な資質を持った教員が集団として生徒にかかわっていくものだということを意識しました。

 3校目はいわゆる進学校です。ここでは受験と進路指導に重点が置かれていました。生徒が希望する進路を如何に教育が保証するか、そのために教育課程や学習内容、そして社会の趨勢について常に考えないといけない、ということを学びました。

 振り返ってみると、一つの学校を経験する度に、新しい教育観が開けていったような気がします。

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